久原房之助

久原房之助翁の経歴

久原翁は明治2年、藤田伝三郎の兄、久原庄三郎の子として萩で生まれた。13 歳で商法講習所に入学し、明治 18 年に東京商業学校(現・一橋大学)を優秀な成績で卒業した。さらに、福沢諭吉の話を聞くため明治 19 年に慶應義塾(現・慶應義塾大学)に入学、明治 22 年に同塾本科を卒業する。叔父の伝三郎と父らが起こした「藤田組」に入社すると、銀の鉱床が尽きかけていた秋田県の小坂鉱山を銅山としてよみがえらせる。その後、藤田組から独立し茨木県の赤沢銅山を日立鉱山として再開発し、世界屈指の銅山に育て上げ、久原鉱業をはじめ、多彩な事業を国内外に展開した。昭和に入ると、政界に進出。立憲政友会総裁、逓信大臣など数々の役職を歴任、政治家としても大きな足跡を残している。戦後は「日中・日ソ国交回復国民会議」の会長を務めた。昭和 40 年、東京白金の自邸(現・八芳園)で 95 歳の生涯を閉じた。

県立下松工業学校の誕生

一方、将来有為の青少年に工業技術教育を受けさせようという意図で、下松に工業学校を創設すべく、その費用として 33 万円(現在では約 33 億円)を寄付された。 大正9年 12 月文部省告示第 453 号、同月 24 日山口県告示によって開校許可が下りた。翌 10 年4月に第一期の入学生を迎えることとなった。 校地に選定された平田川西沿いは、当時蓮の花が咲きそろうほどの湿地帯で、山から土を切り出し、トロッコで運んで盛り土をした。工事関係者はもちろん学校を熱望する地域住民の懸命な作業がそこにあった。

創立35周年の時に行われた翁の胸像除幕式での講演

皆さんの若い顔を見ると、私までも若返ったような気持がします。 35 年前、私の微力が教職員や本校の卒業生の力で、こんなになったことは非常に喜ばしいことです。そして今回 35 周年記念事業に、私の胸像ができて、毎日これを通して、諸君に接することを、大変嬉しく思っています。 ところで、諸君に望みたいことは、胸像という形の上だけではなく、私の精神を正しく理解し、批判し、正しく生かしていただくことであります。いわゆる魂を知っていただきたいのであります。 この魂は何かといいますと、気魄、気分であります。自分の事を述べてはおかしいのでありますが、私は明治 2 年生まれ、今年で 88 歳で、今の一橋と慶応の 2つの学校を卒業しましたのは 21 歳の春でした。 翌 22 歳の春から職を求めたのですが、最初父の友人で、森村氏の所へ話がほとんど決まっていたのが、突然断られて、母の里である大阪で遊び、そのうち森村氏の神戸支店に入社を依頼しました。ところが、本社で断ったものは、支店で採用できぬといって受けつけてくれないのです。私はそれでもあきらめず、4、5 回熱心に頼んだのです。そこで広瀬支店長も非常に困惑されて、それでは本社の許可がなくても採用できる人夫で入れてやろうということになったのです。実はおそらく、支店長の考えでは、私がすぐに辞めるだろうと思っての採用なのでした。 ところがそこは貿易を扱う所で、外国船の出入りの時は実に多忙で、いわゆる猫の手も借りたいくらいでした。そこで私の存在が重宝なものとなったのです。私は人夫として、あらゆる事を実地にやって全部知り、熱心に研究しながら能率的にやったものです。一年有半後、私は店長を命ぜられました。ちょうどその時、下田武という同級生がそこに働いており、入社以来一定の月給取りで、事務的で、何も知らないのです。私が仕事に精通した熱意?私は決して地位を求めようとは思いませんでした?その熱意に生命があると思います。ヒヨコである諸君が成長するには、この熱意が必要なのです。私は、この気魄をもって貫いただけなのです。 また、こんな事もありました。明治 30 年、貨幣制度が金本位に切り替えられたとき、藤田組が落ち目になって非常に苦しんだ。当時私は29 歳でしたが、藤田組再建のために、銅鉱から金を製錬する方法を完成したのです。これは実に世界的製錬法であって、外国から 2 千万円(今の 200 億円位)で売ってくれといわれたのです。それを断って、藤田組の回復ができあがるのに 13 年もかかったのです。 その後、茨城県の日立鉱山を手に入れ、独立でやることになった。誰もがつぶれるだろうと思っていたのを、人の努力、人の和でもりかえしたのです。かつて私と共に苦しんだ時の同僚が、犠牲的にやってくれました。この味は決して忘れることはできません。こういうことは見逃せない問題です。 日立はその後 50 年たっています。東洋一、おそらく東半球一でしょう。それはただ、この気魄によるものです。日立製作所にしても、一つの課より起ったものであり、現在 160 億の資本をもっています。 ヒヨコ諸君よ。この気魄をもって進みなさい。胸像を見るにつけ、この気魄を喚起されれば、もって瞑するものであります。